第1創業
1941年
昭和16年
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4月 東京都港区芝浜松町3丁目2番地にて、伊原政次個人経営の伊原商会を創業 第1創業は1941年から1961年。日米大戦の年1941年に若干35歳の伊原政次がイハラサイエンス株式会社の前身である、伊原商会を浜松町の地に創業しました。資本金1000円、従業員4名という個人商店がイハラサイエンスの歴史の始まりです。当時の取り扱い製品は、創業者の出身母体、古河電工様の取扱商品である電線や電線管、鉄管継手、工場用電池などでした。 |
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1947年
昭和22年
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5月 経営を法人組織とし、資本金5万円にて、伊原産業株式会社を設立 個人商店から伊原産業株式会社と社名を変更し、新たな歴史を歩み始めました。資本金5万円の法人の誕生です。写真は伊原産業の社名の入った入り口で創業者と社員達。そして、創業者を支えた大番頭 山田眞喜栄 元副社長です。 |
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1952年
昭和27年
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ISブランドの誕生(商社からメーカーへ) 取り扱い製品は、伊原商会時代の製品に加え、エルボ、チーズなどの継手やバルブ、コック、給油関係のゲージなどでした。業者からの仕入れ、また、協力工場に委託加工して、お客様にお納めする、まだ商社機能の強い業態です。しかし1952年には伊原ブランドISマークを作り、メーカーとして歩み始めました。 |
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1953年
昭和28年
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配管用高圧継手メーカーとして出発 商社の時代を経た当社は、メーカーの時代に入ります。1953年から1998年の45年間は大きく発展した時代です。同業他社が、大型投資などにまだ躊躇していた時、鍛造継手の金型に大型投資を行い、ユーザーも東芝機械様、日立製作所様、富士電機様など大手との取引も増えてきました。 油圧機器の著しい成長の追い風も受け、くいこみ継手の需要は拡大、1960年には念願の自社工場を現伊豆市熊坂に持つことができました。ベルトがけ旋盤が主流の製造現場に、モーター直結の最先端の倣い旋盤などを工場に設置し、建屋は貧弱なものの設備と職人たちは一流という生産体制を構築しました。 |
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1958年
昭和33年
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油圧機器工業会に入会 1958年には、高度成長期の花形産業になった油圧機器に欠かせない継手のメーカーとして認められ、油圧機器工業会(現フルードパワー工業会)に入会しました。1959年には二代目社長となる伊原務が入社。この年、年間売上高1億円を突破しました。そして実質的な「メーカーの時代」を創り上げたのは、製品「くい込み継手」です。この継手とは、1960年に三菱重工様との取引で出会いました。ドイツで使われている油圧配管用継手として、溶接もパイプにネジをきる事もなく、高圧配管をつなげることのできる継手であり、その将来性に着目し、独自に研究開発を進め「喰込継手」と命名して製品化を進めたのです。後に、くい込み継手用締め付け装置などが開発されていきます。 |
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1960年
昭和35年
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8月 大仁工場を静岡県田方郡修善寺町熊坂28番地に建設 |
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第2創業
1962年
昭和37年
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10月 社名を伊原高圧継手工業株式会社と改称 1960年代に入り、当社命名の「くい込み継手」は、そのままJIS化され、油圧配管装置には欠かせない部品となってきました。名実ともにブランドメーカーとして発展してきた証として、1962年10月には「伊原高圧継手工業株式会社」と社名を変えます。「くい込み継手」のカタログには新社名「伊原高圧継手工業」が入りました。 |
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1963年
昭和38年
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6月 株式を公開(日本証券業協会東京地区協会登録店頭銘柄) 資本金1億1000万円に増資し、店頭市場(現ジャスダック)に上場。株式を公開します。この年、代理店制度を取り入れ第1号の代理店として中西商事殿との契約を結びます。 |
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1966年
昭和41年
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9月 大仁工場を静岡県田方郡大仁町吉田153番地に新設移転 好調な販売に対応するため、生産拠点の増強が急務となり、かねてから、静岡県大仁町(現伊豆の国市)に取得してあった土地に第1工場を建設しました。 |
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1968年
昭和43年
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4月 大阪支店を開設 代理店会議の開催 大阪営業所が開設され第1回の代理店会議が開催されました。また翌年1969年には、後の3代目社長となる現会長の中野琢雄が入社します。 |
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1970年
昭和45年
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5月 付知工場を岐阜県恵那郡付知町5591番地に建設 10月 イハラシステムエンジニアリング株式会社設立 継手単品の生産販売会社から、「配管をシステムとして捉え、サービスしていく会社」としてイハラシステムエンジニアリング株式会社を設立します。これが現在の付知第2工場の前身にあたる会社です。 |
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1971年
昭和46年
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2月 名古屋支店開設 生産・販売拠点の拡大 1970年代は、ニクソンショック、石油ショック、ベトナム戦争の終結、安宅産業の倒産など多くの試練がありました。そんな状況下、1971年 伊原務が2代目社長に就任しました。積極経営を推進し、営業所の開設や三和興業への資本参加、鍛造工場の建設、伊原産業の設立など規模の拡大が行われました。1976年にはソ連の石油プラント向けの大型継手を大量受注しています。 |
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1972年
昭和47年
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4月 日本高圧継手協会設立 |
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1980年
昭和55年
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2月 三和興業株式会社に資本参加 |
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1981年
昭和56年
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4月 鍛造工場を岐阜県恵那郡付知町10424番地に建設 |
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1982年
昭和57年
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5月 山形伊原高圧株式会社設立 山形伊原高圧株式会社(現山形イハラ)が山形県東根市に設立。(1990年には米国に進出) |
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1989年
平成元年
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5月 大仁工場を技術開発センターに改称し静岡県田方郡中伊豆町下白岩1251番地に新設移転 |
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1989年
平成元年
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10月 資本金15億6千4百万に増資 |
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1990年
平成2年
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6月 バイロックイハラコーポレーション(BIC) |
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1991年
平成3年
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4月 付知工場と鍛造工場を統合し、岐阜県恵那郡付知町10424番地に新設移転 |
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1993年
平成5年
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12月 本社を品川区大井4丁目13番地17号に移転 |
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1996年
平成8年
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1月 国際品質規格 ISO9001を全社(CS事業部、IT事業部)取得 |
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第3創業
1997年
平成9年
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10月 社名をイハラサイエンス株式会社に改称 |
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1999年
平成11年
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5月 3代目社長に中野琢雄が就任 3代目社長として、中野琢雄が就任します。就任時は、赤字と多額の借金・不良資産、連結子会社の債務超過など、20世紀型経営の行き詰まり状況でしたが、就任直後に、再建4カ年計画を明確にし、不退転の決意で実行した結果、計画のほぼ全てを完結しました。 |
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2000年
平成12年
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10月 e-fit配管システムにてエコロジーデザイン賞を受賞 |
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2003年
平成15年
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4月 国際環境規格 ISO14001を全社(CS事業部、IT事業部)取得 |
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2004年
平成16年
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12月 山形伊原高圧株式会社を山形イハラ株式会社に改称し、本社工場新設 |
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2006年
平成18年
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1月 岐阜事業所増設 10月 三和興業株式会社をイハラパイピングサービス株式会社に改称 |
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2008年
平成20年
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1月 イハラシステムエンジニアリング(株)岐阜工場を、岐阜第二工場として統合 |
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2010年
平成22年
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4月 イハラシステムエンジニアリング(株)を、吸収合併 |
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第4創業
2012年
平成24年
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3月 本社を港区高輪3丁目11番3号に移転 3月 台湾伊原科技股份有限公司 設立 10月 蘇州伊原流体系統科技有限公司 設立 12月 IHARA KOREA 設立 |
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2013年
平成25年
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6月 イハラサイエンスUSA 設立 |
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2014年
平成26年
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4月 イハラパイピングサービス(株)を、吸収合併 |
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2015年
平成27年
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1月 4代目社長に長尾雅司が就任、中野琢雄は会長に就任 |
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2017年
平成29年
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5月 南通伊原流体系統科技有限公司 株式取得し設立 |
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2018年
平成30年
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12月 公益社団法人イハラサイエンス中野記念財団設立 |
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2019年
令和元年
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7月 静岡事業所伊豆長岡工場を静岡県伊豆の国市南江間2176番地28に建設 |
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2020年
令和2年
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4月 5代目社長に長岡敏が就任 |
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